『砂の女』安部公房:終わらない居残りと、止まらない流砂

安部公房著『砂の女』(新潮文庫)の書影。

 この本を読んだのはもうずいぶん前のことだ。
 「中学生の時に読んだなぁ」とか、そういう意味ではない。
 今年に入ってから読んだ。読了してすぐ原稿に取り掛かったが、形にならないまま季節が変わってしまった。

 もしかしたら、もう一度読み返したほうがいいかもしれない。
 なんせ本を開いていた時間と比にならないほど、wordの画面を見つめている。
 きっと小説に忠実ではなくなっている。
 まあ、いいか。正確さを求める読者には実際に本を読んでもらおう。

 とにかく記事を仕上げるのに時間がかかった。
 長丁場にしすぎて、どうしてこんな苦戦しているのか自分でもよくわからない。
 それでも、一番最初の原因は覚えている。
 読み終えて本を閉じたとき、私はどう感じるのが正解かわからなかった。喜ぶべきか、悲しむべきかわからなかった。理性と感情がずっと食い違って、長いこと自分の態度が定まらなかった。その状態を解消するのに時間を要した。

 それにしたって――。それにしたって、時間をかけすぎじゃあないか。
 この本を読んでいたあの日、部屋では暖房を焚いていた。

 思えば、私は小さいころから何をするにも人より時間がかかる人間だった。
 ――そうだ。図工、それに作文なんかもそうだった。完成したら自由時間の授業。そういう時間に私が自由になったことは、おそらく一度もない。それどころか、授業時間だけでは仕上げられず居残りになった。教室から一人、また一人と、仲間がいなくなっていく。静かな教室で、椅子を引く音がおおきく響く。

 幸か不幸か、あのころと違って提出の義務はない。だから、この記事をあきらめて放り出してもいいのだけれど、できればそれはしたくない。
 それでキーボードに手を置いているのだが、今はすこし気分がいい。今夜なら脱稿できる。そんな予感がしている。

 すこし話が逸れてしまった。
 とにかく私は、時間が許すかぎり時間を使ってしまう質らしい。
 いや。脇道に逸れたようで、これこそが骨子かもしれない。
 私はもっと時間をかけて進みたかったんじゃないか。マイペースが許されない砂の穴と、きっと絶望的に相性が悪かったのだ。

 思いがけず巻き込まれ、せわしなく決断を強いられる――。
 男が直面した窮地に、私は男と同じペースで対応できなかった。
 本を閉じて、散歩して、ことばを探して、いったん離れて……。そうして今なお若干の消化不良を起こしている。
 だがどういうわけか、男は満足そうでもある。少なくとも私にはそう感じられた。
 そして、その理由もなんとなく察しがつく。
 この複雑なリアリティが本作のすごいところであり、私が記事を形にできない原因だという気がしている。

 なんだか、今回の記事はいつにもまして我が強い。自覚している。
 だが仕方がない。淡々と書ける期間はとうに過ぎてしまったのだから。
 私の責任ではない。責めるなら、長丁場にした奴にしてほしい。

 いずれにせよこの記事を乗り越えれば、きっと調子が戻ってくる。そんな気がしている。
 それにこの長期戦に決着をつけられたことは、今後の自信になってくれるはずだ。

 私はこのブログを一定のリズムをもって、長く続けていきたいと思っている。
 そのうえで助けになりそうな以下のような教えがある。

・「出ない傑作」より「出る駄作」
・提出しなければ0点
・敵を倒すところまでやらないと経験値はもらえない
・自信があるときだけバッターボックスに立とうとするな

 これらは私の滑稽な完璧主義への戒めである。
 「余裕のなかった男」と「時間をかけすぎる私」。その両極端の間にある中道を示してくれる、きわめて正しい教訓たちだ。
 だが正直なところ、私は完全にこれらのことばに説得されてはいない。そしてそれでいいのだ。皮肉なことに、男の内省に立ち会ってそう感じた。

 解法を知らないパズルのように何回読んでもたのしめる小説だと思う。
 推敲が終わって荷が下りたら、もう一周してみよう。


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