もちろん、これも後者

「〆」を模したカリグラムのアイキャッチ画像。

仕事はのばせばいくらでものびる。しかし、それでは、死という締切りまでにでき上る原稿はほとんどなくなってしまう。

出典:外山滋比古『人生を愉しむ知的時間術』(『〆切本』左右社 p.283 より引用)

 ブログを始めるにあたって、同じようなことを考えた。

 仮に、不定期で気ままに更新していくとする。
 そうした場合、寂しくなるタイミングがやってくる気がした。「これだけの期間続けていて、これしか記事がないのか」と。

 では、どんなペースでやっていけばよいのだろう?
 ・毎日更新: 内容的に絶対無理。
 ・週一更新: これでもまだハード。
 ・隔週更新: 年間26記事。現実的だが、ちょっと物足りない。
 ──ならば、月に3記事でどうだろう。年間36記事。うん、これにしよう。

 そういう経緯で「月3更新」を目指すことにした。ただ、べつにブログ内で宣言はしていない。ブログ内の検索窓で「月3」と叩いても一件もヒットしないはずだ。ペースを明言しなければ、乱れても誰にも責められない。我ながら賢い。

 しかし、いざやってみると月3本でも案外大変で驚いている。あっという間にバッファ期間を食いつぶし、すでに更新が間に合っていない。計画を立てた奴はどこのどいつだ。

 これまで書いてきた、本一冊についての書評エッセイはすこしカロリーが高かった。
 そこで、執筆コストの低い、新しいスタイルを模索してみた。
 そうして出来上がったのが、本記事というわけだ。

 今までのスタイルがメインであるのは変わらないが、ときどき今回のような引用から展開していく記事がはさまることになる。


 報告だけで終わっては味気ないので、ブログ運営を始めてからの発見について記そう。

 まっさらな白紙には二種類あると気がついた。
 ひとつは「まだ書かれるときが来ていない」白紙。
 もうひとつは「もう書かれるときを過ぎた」白紙。

 かつての私にとって大半の白紙は、ノートの新しいページであり、新規ドキュメントだった。
 それらが白いのは、単に書かれるべきことがまだ発露されていないからだ。書く内容はすでにあらかた頭のなかで仕上がっており、書けると思ったから白紙と向き合っている。だから、白紙を前にして長時間苦戦したり、白いページに負の感情を抱いたりすることはなかった。
 しかし、締め切りを設けるようになって以降、状況が変わった。
 多くの白紙が、穴だらけの日記帳として、許されざる怠惰として責め立てるようになった。以前の白紙は完成の喜びのすぐ側にいた。それが裏切られたような気分だ。

 まだ締め切りとの関係は始まって間もない。だから正直わからないことも多い。しかし、あちらさんが刺々とげとげしいのは私に問題があるからに違いない。そして私のふるまい次第で、締め切りは宿敵にも、腹心にも、どちらにもなりうる。
 ――うん。書いてみて、これからの態度が定まってきた。

 出来の悪い原稿を嫌うのと同じように、向き合うべきだった白紙を嫌わなければならない。

 いや、白紙のほうがずっと悪い。
 能力の不足はいずれなんとかなる。
 しかし、白紙を過ごすようでは間に合わない。

 このままでは殺されてしまう。自分の怠慢によって。
 差し迫ってはいないから、焦る必要はない。だけど、急がないと白すぎる人生になってしまう。

 悲劇も愛する書き手として、極上のシャーデンフロイデを手放すのはいささか惜しい。
 しかし、まずは自分を助けなければ。



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